私はタブーを超越するために制作を続けてきました。きっかけは、実母との不健全な関係性です。
母とは10年以上会っていません。正確に言えば、会おうと思えば会えるけど会えない、という状況です。会えなくなった理由は簡単で、母が離婚するさいに「上の子(私)はお金がかかるからいらないです。下の子(妹)は私が育てます。」と言いました。良識のある母親ならお金で実の子を選ぶことはしないでしょう。
しかし、世の中には”母親”というだけで「それでもあなたは愛されてるのよ。母が正しい」と無条件で会ったこともない私の母親の味方をする人たちがいます。親というだけで感謝しないといけないという風潮がはびこる社会に、私だけでなくだけでなく多くの人たちが苦しみ、家族のことをタブー視する人たちもいます。
家族関係で問題を抱えている者にとって家族をタブーにするのは当然ですが、蓋をしたところで解決につながることはありません。
不変を望むならそれでいいのかもしれませんが、私にはそれができませんでした。
蓋をしていると、母親を殴り続ける夢を見るようになりました。何度も同じ夢を見た時に、タブーに触れないとこの問題を超越することができないと思いました。
そしてこれは戦争も同じで、過去の事実をタブーにしたところでなにも解決しません。私は戦争も人間関係の延長上にあると考えています。犯した過去をみんなで向き合うことで戦争を超越することができると平和学者のガルトゥングも述べています。
私の旦那はロシア人とウクライナ人のクォーターで、彼の家族の間では戦争の話をするのはタブーとなりました。
そしてプーチンが戦争に踏み切る前に、ロシア国内では表現と言論の弾圧が行われていました。日本でもタブーを理由に表現の弾圧が行われたら日本もロシアと同じことになるでしょう。
毒を以て毒を制するという言葉があるように、私はタブーに触れることで、タブーを超越したいです。