現在、NIPPON VISION GALLERYでご紹介している羽田忠織物のネクタイ。
羽田忠織物の工場を訪ね、江戸時代より絹織物産地として知られる山梨県富士吉田市に行ってきました。
羽田忠織物は、昭和10年に傘や風呂敷の布地を織るメーカーとして創業しました。
現在は、主にシルクネクタイを作っています。
羽田忠織物の工場を訪れて、まず驚いたのが最初に案内された事務所。
事務所というより、カフェのような雰囲気です。
遠くからわざわざ足を運んで下さった方に、ゆっくりとくつろいでお話出来る場を作りたいとの思いから、
このような事務所のデザインにされたのだそう。
フラッと立ち寄りたくなる雰囲気で、実際長く話し込んでしまいました。
工場は、羽田社長のご自宅のすぐ隣にあり、布地が織られる「カッシャン、カッシャン」という
小気味よい音が聞こえてきます。
入ってみると、教室の半分くらいのスペースで、「工場」という言葉からイメージしていたより
ずっと小さい場所でびっくり。
まず、見せて頂いたのは、糸をボビンに巻く機械。
糸屋さんから届いた糸を、織り機に取り付けられるよう、
きれいにボビンに巻き取っていきます。
こちらが、今回見せて頂いた織り機。
これは、ジャガード機といって、主に柄物を織るのに使われます。
目を奪われたのは、織り機に張られた縦糸の密度。
気が遠くなるような本数の縦糸が、機械に張られています。
こんなに細く、たくさんの糸をどうやって張るのだろう・・・。
伺ってみたところ、「つりこみ屋さん」といって、織り機に縦糸を張る専門の職人さんが
いらっしゃるのだそうです。
ちなみに、こちらの細かいオサ(緯糸を織り込む櫛のようなもの)に糸を通す作業にも、
「オサ抜き屋さん」といって別の職人さんがいらっしゃるとのこと。
皆さん、富士吉田市の近辺に住んでいて、色々な工場から呼ばれては、
転々と回ってお仕事されているんだそうです。
こちらの板は、何かわかるでしょうか。
これは、「紋紙」といって、布地に表現する柄の指示書のようなもの。
イメージしにくいかもしれませんが、この紋紙を織り機の上に取り付けて、
縦糸を上げたり、下げたりする指示を出し、柄を織っていきます。
ちなみに、この紋紙を作るのにも「紋屋さん」といって専門の職人さんがいらっしゃいます。
紋屋さんの中には、「意匠師」といって、手書きで柄をデザインし、それを紋紙に落とし込む仕事を
併せてやられている方もいるそう。
コンピュータを使えば、意匠師でなくても紋紙の型は作れるそうですが、
やはり手書きの柄を紋紙に落とし込む方が、柔らかい曲線が表現でき、きれいな柄に仕上がるのだそうです。
工場の棚には、たくさんの紋紙が保管されていました。
そして、こちらが実際に織っているところ。
機械の近くにいると、「カッシャン・カッシャン」という音が、かなり大きな音で耳に響きます。
羽田さんは、冗談混じりに「機屋さんは、仕事柄、声が大きくなってしまうんだ」とおっしゃっていました。
こうして出来上がった布地は、今度は縫製屋さんに出され、
そこでやっとネクタイの形に仕上げられるのだそうです。
織物の産地といえば、たくさんの織物工場があって、それぞれに布を作っている・・・・。
恥ずかしながら、私のこれまでの「産地」のイメージは、そんな漠然としたものでした。
でも、実際に行ってみると、「産地」は、羽田忠織物のような布を織る「機屋さん」だけでなく、
紋屋さんやつりこみ屋さん、オサ抜き屋さんなど、たくさんの仕事があり、
たくさんの職人さんが関わることで、ひとつのモノ作りが成り立っている場所でした。
たった1本のネクタイでも、モノを通して、時間をかけて織る場面や、細かな糸を通す場面が思い起こされ、
自然と大切に、丁寧に扱いたくなります。
どんなモノでも、たくさんの人と技術のつながりの中でできていますが、
そのつながりをどれだけ具体的にイメージ出来るか。
それが、モノを大切に使う気持ちにつながると、当たり前のことを改めて実感しました。
お忙しい中、丁寧に織の工程を教えて下さった羽田さん、天野さん、本当にありがとうございました。
(写真は、羽田忠織物の羽田さん)
「NIPPON VISION GALLERY 山梨 羽田忠織物 -織りの継承-」は、6月17日(火)まで。
ぜひ、店頭にお越し下さい。
<番外編>
工場見学の後、羽田さんがお昼に誘って下さいました。
食べたのは、山梨名物「吉田のうどん」。
初めて食べた人は、茹で足りないんじゃないか・・・と心配になる程、固い麺が特徴のうどんです。
連れて行って頂いたのは、なんと、d design travel 山梨号でもご紹介した「渡辺うどん」!
平日にも関わらず、お店は超満員。
コシが強く少し塩気のある極太麺を、コクがある醤油と味噌のお汁で美味しく頂きました。
(ちなみに、写真は冷やしうどんですが、主流は、温かいうどんです)
ここでご紹介したのは、美味しいものの自慢・・・ではなく、
実はこの吉田のうどん、元は機屋さんの賄い料理だったんだそうです。
「小さい頃は、機織りの合間に、おばあさんがよくうどんを出してくれた」と、羽田さん。