富山県の八尾町にある伝統工芸「八尾和紙」を作り続ける「桂樹舎」。
d47 design travel storeでは日本のものづくりを紹介する「NIPPON VISION GALLERY」にて桂樹舎を特集しました。
そこで桂樹舎の二代目の吉田泰樹さんにお越しいただき、
室町時代から栄え和紙産業の中で生き抜いてきた、八尾和紙と桂樹舎の歴史を伺いました。
さかのぼるは室町時代。その頃は税金の代わりとして越中の和紙を納めていた時代。飛騨の国の人々が富山に移り住んできて山間で紙漉きを始めたのが八尾和紙の始まりです。
越中薬売りと共に薬包紙として発展した八尾和紙は、富山の繭産業が栄えると同時に、種繭をのせる紙としても多く使われていきました。
繭産業とともに栄えた和紙。その名残から生まれた柄「まゆ柄」。
その後は物を包む、など生活道具のひとつとして人々の生活に紙が根付いていきます。
時代が明治に移ると、一年中かつ大量、安価に作れる機械漉きの紙が出回りはじめました。
紙漉き職人たちも水の冷たい冬にわざわざ作る和紙の仕事から離れていき、だんだんと和紙の衰退が始まります。
いま現在も冷たい水の冬に作業は行われています。
それまでは共同産業所といって、誰もが紙漉きを習い、漉くことができた場所も取り壊され、職人が生まれなくなっていきました。
そんな時代、桂樹舎の創設者、吉田桂介さん(泰樹さんのお父さん)は15歳。故郷八尾から東京へと仕事をしに出向いており、2、3年百貨店で働いていましたが、病気にかかり、療養のため八尾に戻りました。
完治した後、仕事もなくふらふらとしていた桂介さんは製紙指導所の生徒募集を見て入所、当時斜陽産業であった紙の魅力に取りつかれていきました。
さらに「和紙の美」という雑誌に掲載されていた民藝運動活動家の柳宗悦の記事に感動し、すぐさま東京の柳宗悦を訪ねました。そこで柳宗悦から紙についてを聴き話し、富山・八尾での和紙作りを続ける事を決意します。
その後は植物を使っての染め方を学んだり、いろ紙を染めでつくったり(当時のいろ紙は表面を塗っていた)、美術品用の紙を作り売り出したりと勢力的に紙作りをしていきました。
さらに飛躍したのは芹沢銈介との仕事。
戦後、布が手に入りにくい時代、芹沢銈介は作品を発表するのに和紙を使っていましたが、ひとつ悩みもありました。紙なので水で溶けてしまう、という点。当時、美術用の紙を売り出していた吉田さんに話しがいき、どうにかしようと二人の工夫が始まりました。布の代わりとなる「厚手・水に溶けない」紙を漉き始め、生まれたのが厚くしっかりとした桂樹舎の和紙です。
水に浸して、糊を取っていく様子。
さらに芹沢さんからデザインのことを学んだ吉田さんはアフリカの工芸やアイヌ民族工芸品などにも影響を受けながら時代に左右されない柄を次々と生み出していきました。
色付け作業は手作業によるもの。店頭での実演用に用意してくださった「もみ紙」。色使いが定番品とはすこし変わっています。
現在でも芹沢銈介の代表作品であるカレンダーを作り続け、廃れない柄と鮮やかな配色を組み合わせ製品をつくり続ける桂樹舎。2代目である泰樹さんを中心に勉強会や型染めの実演・体験会を行い、八尾の和紙を広く広める活動を行っています。
2015年度の「芹沢銈介カレンダー」。
泰樹さんは穏やかに話します。
「たかが紙、されど紙。うちしか作れないものがある、それを続けていきたい。富山にきてほしい。」
あたたかみがあり、どんどんと手になじんでいく、桂樹舎の製品。
私の名刺入れも、使い始めてもう1年。優しい風合いになってきました。和紙が普段の生活になじむ、ということがなかなかない時代ですが、桂樹舎の見て楽しい柄や色、使って気持の良い製品を長く応援していきたいと感じる特集でした。
桂樹舎の商品は名刺入れを定番品としてご用意しています。ぜひご覧ください。
また、3月14日にはD&DEPARTMENT 富山店がオープンします。富山へ旅する際はぜひ、桂樹舎と富山店にお立ち寄りください。
d47 design travel store 薗部